●一般参加 Tさん
岩城先生、先日は寒い中庭園の説明や為になる話をして下さって有り難うございました。
私は盆栽や庭園に特別な思いがあるわけでも詳しいわけでもないけれど、参加させて頂いて良かったと思っています。
特別気にかけていなくても植物を見たりする機会は誰にでもあるものだと思います。盆栽などを見るときや、或いは、自宅のベランダで育てている小さめの観葉植物(例えばアスパラやアジアンタム)を見る場合でも、たまに自分がちっちゃくちっちゃくなってそれらの植物を見上げてるところを想像したりする事がありました。盆栽の大好きな年輩の方達も、私と同じように、自分が小人の気分になって見てるとしたら、それはとても夢のある事なんじゃないか・・・と思ってたのです。だからこの見方は間違いではないとわかって嬉しくなりました。また、先生の仰る、「俯瞰で」或いは「他人の目になって」モノを見る域にはなかなか到りそうにありませんが、それができればホントにすばらしいですね。
ところで庭園のお話は、私達グラフィックのデザインの世界にも通じるところが多くて、そういう意味でも大変勉強になりました。特に、それぞれのモノ(木や石)に役割があるという事。そして、少ない材料で表現するのが極意である事。紙面のデザインにおいても「説明しすぎになるのは良くない」とよく私が社長に言われる事です。不要なものはそぎ落とすデザインであるべしと。そしてそれぞれのモノに役割を持たせるという事もよく言われます。庭園のお話でも共通点が多いので大きく頷きながら聞きました。
それと、仏教のお話も出てきましたが、庭園の表現は陰陽道とのかかわりもありそうだなぁ・・・と考えていました。江戸時代の松山を庭におきかえる説明をして頂いてるときにそう思ったのですが、どうでしょうか。
9日はとても寒くて凍えそうでしたから、もう少し暖かい日であればもっと落ち着いてお話を聞けただろうなと、それが少し残念です。またこのような機会があれば参加させて頂きたいです。どうも有り難うございました。
●田中 啓文
先日は有意義な半日をありがとうございました。知らないことばかりでとてもおもしろく聞かせていただきました。
歴史的背景に密接に関わり合う中で、他国との文化の融合が庭作りに生きていることも興味深いものでしたし、何はともあれ縮景としての見方により同じ風景がいかようにも見える不思議と、見ている自身がガリバーになったりこびとになったりできる想像力も教えていただきました。
しかし当日講師を務めていただいた岩城さんの歴史的洞察と自由闊達な考え方、ものの見方にいたく感動したというのが正直なところでした。是非常心寺の庭を眺めながら、一献傾け人生を語り合いたいなあ、と思ったのは私だけでしょうか?
庭を造った人がどのような想いで、何を感じてほしくて作ったのか、隠されたメッセージは何なのか。これから庭を見る楽しみが増えたのは事実です。ありがとうございました。
●津吉 瑞枝
未完塾「日本庭園の鑑賞-庭は語る-」のテーマ内容――庭との関わりが少なくなった現代人が、どこまで庭に込められたデザインメッセージを読みとれるか。という言葉に誘われて興味津々、参加させていただきました。
庭に配されている石や木々にはそれぞれ意味があり、城主や先祖への思いを表現しているということを知り、楽しい勉強会でした。でも、それ以上に感じさせられたのは、「庭の話も庭だけでは語れない」ということです。
岩城先生の説明は、直接的な庭の事ばかりでなく、時代背景や当時の建築物の様式、風水的な話し、作った人物の人となりなどを加えて話していただき初心者の私にもとても解りやすいものでした。「大和言葉とのつながり」「筋を通すという言葉の由来」「勅使門のあり方」などが私には興味深く、今後神社・仏閣、歴史ある建築物を観る楽しみが増えそうです。
まさに岩城先生の「庭は観る人によって幾通りにも解釈できる=観る人の精神世界と共通する。」という言葉を実感。全てのものにつながりがあるのに日本人である自分が日本の文化をよく知らなかった→知れば奥深く、楽しい!→更に新しい発見や自分なりの見方もできる。ということを痛感した庭園鑑賞でした。
その後、開催中の鑑真和上展を観にゆきましたが、唐招提寺の平面図も「筋の通った左右対称の配置」であることに気づいたり、ほんの少しですが今までより充実感があったような気がします。ありがとうございました。
●一般参加 Nさん
松山地方裁判所が、元松山藩家老の屋敷跡だったことを知る人はどれくらいいるだろうか?そして、そこに日本庭園が残されていることを知っている人はいるのだろうか・・・。
今回、未完熟主催の「日本庭園鑑賞会」に参加させていただいて、私も初めて知った。「昔の庭は、住む人の生き方や考え方を表現して創られていて、庭を眺める際には先人になったつもりで観るとよい」という岩城氏の説明は大変わかりやすくとても勉強になりました。
当時は、庭から松山城が眺められたという。今は樹木に覆われて見えない城を見上げると、私も古き良き日本人になったような気になる。若葉の頃にまた訪れてみたい。その時にはもっと先人の思いや教えを感じ取ることができるだろう。
春寒に有意義な一日を過ごすことができ、未完塾の方、講師の岩城有作氏には感謝です。
ほんとうにありがとうございました。
●河原学園 藤本 真絵
先日は貴重なお話を聞かせていただき、有難うございました。
日本庭園の素敵な部分を沢山知ることができました!!
庭園の中にもうひとつ大きな世界が表現されているなんて知りませんでした。今まで木は木、としか考えられなかった自分が非常に狭い考え方の人間だったのだなあ、と感じました。
私は頭が固いほうなのですが、じっくり眺めているうちにすっかりその気になってしまいました。池・土手・木々が海・山脈・雲であるようにしっかりと感じられました。
現実世界では、ちっぽけな自分を感じ、もっともっと頑張らなくては!と思いつつ、庭園では小さいものたちの中で自分を過信せず、謙虚に生きることを学び取る。そんな教訓を教えて頂いた気がします。本当に有難うございました。
●河原学園 前田 奈生美
今回の未完塾では、己の未熟さや礼儀の無さをつくづく感じました。
一つの庭に、あんなにも多くの気持ちが隠されていたのですね。
一つの事物を見た時にこれはこういうものだと決め付けてしまわずにこうも見える、ああも見えると様々み想像できる柔軟な頭と発想はとても大切だと思います。しかし、そうやって想像するだけでなく、その樹一本にしてもきちんと持っている意味があって、そこにその樹があるからこそ意味があることもしっておかねばならないこともわかりました。その基本をわかってこそ新しい発想も生きるのではないのか・・・そう思いました。
口で言うは容易いということ、それよりも語らずそっと造り手と依頼者の意志を伝える木々の姿を知り、美しいと感じました。そして、おしゃべりで、まだまだ自分を見つめる事も、目の前にあるものにたいして様々な想いを想像したりせず、ただ一日を過ごす自分を恥ずかしく思いました。
お寺のお庭で教えていただいた、相手の正面からでなく、横から突然現れて話しかけることの無作法さなどの話をお聞きした時には、自分の礼儀の無さを恥ずかしく思いました。全く礼儀作法を知らないわけではないけれど、「知らないわけではない」程度のことしか知らない自分のレベルの低さ、無作法さを本当に恥ずかしく思いました。横から〜のことをわが身に置き換えてみると、よくやっていることだったからです。
礼儀作法や美しい振る舞いは、やらねばと思ってするのではなく、自然とできていることが一番良いと思います。講師の先生の話し方や、動きは優雅で美しいと思いました。そして自分は・・・いろいろと修行が足りない!!!!!
今回、お庭も美しくて大変癒されましたが、自分を見つめなおす良い時間を与えていただいたように思います。講師の先生、担当の方、お寒い中本当にありがとうございました。
●森脇 三枝子
日本庭園を愛でるということに多くの意味があること、また自分の仕事に通じるものを感じ取れたことは驚きで「配置されているすべての物に意味がある」というお話を聞きながら、必要最低限の材料で表現することの大切さをあらためて感じました。
古庭園を眺めながらの説明で”デザイン”という言葉を聞くたびに妙に違和感を覚えましたが、歴史の重みある庭をデザインという一言では語り尽くせないからかな?なんて思ったりもしました。
私の実家にも庭があります。そこには今は亡き祖父がどうしてもほしいと言って作った池があり、人が集まるときは座敷から庭を眺め、話しに花を咲かせたり、縁側で日向ぼっこをしたり・・・。常信寺の庭園では、お日様がぽかぽかと照って来て気持ち良く、ふと実家の庭での思い出が頭にうかぶほど身近さを感じました。
どんな庭を眺めるときにでも、今回教えて頂いたお話はよみがえると思います。
今まで踏み込まなかったことに、一歩踏み込めたのは未完塾ならでは・・だったのではないでしょうか。ありがとうございました。
●宮原 優子
今回は日本庭園ということで、全く何の知識もないままに参加させていただいた私には、「へぇ〜」とか「ほぉ〜」とか何とも情けない感想しかなかったのです。その場では。
が、しかし、家に帰り着いた後、色々と「今日の庭は二つとも政治的な意味があったけれど普通の家庭の庭にもあったのかなぁ」とか「今後日本庭園を残していくと考えたときに何がこれから必要なのかなぁ」とか....もっと質問すれば良かったなぁ...って。まったく、私は、まだまだです。
最近街並みを考えたときに、「日本の良さを生かした街並み」とか、言いますよね。でも、本当に家々の街並みを観ると南フランス風があったり、イギリス風があったり、そのとなりは盆栽が山のように並んでたりもする。自由な趣味的の庭が町中に溢れていて、きっとそれも良いんだと思うのですが、もっと本当の意味での庭作りを日本人一人一人が楽しめるようになれれば、後世に日本庭園は一般庶民にも浸透されてるはずだと思いました。(私を含め。)
岩城先生には熱心に講義していただいて、大変勉強になりました。ありがとうございました。
●光盛 香奈子
歴史が苦手で、日本の文化を知らずにはずかしい思いをすることがよくあります。
でも、最近、未完塾のおかげで日本のことを知る機会が多く、文字・言葉にまつわることから、今回は日本庭園。人が変わったのではないか?と周りの人間をおどろかせるほどためになることばかりです。。。
それはさておき、庭をこれほど、ゆっくり観たのは初めてでした。
方角や、位置によって、意味を成す小さな世界に、興味を魅かれました。その背後にある、物語りやエピソード、歴史、風土を読み取りながら、関連づける。本当に知らないと、その庭を語れないけれども、その見方は人それぞれだということ。日本人特有のストレートではない表現の中にひそむ、隠された意味とか、いろんな説を自分なりに感じてみることが大切なんだなと思いました。
そして『「枯山水」(竜安寺)って何がどうすごいのだろう・・・』という疑問も解けました。いろんな見方ができることが、いい庭の条件であるとのこと。表面の美もさることながら、奥の深い魅力があるのですね。
時間をかけて、ゆっくり眺める。スピードが優先される時代に、とても贅沢なひとときでした。これから、庭を楽しんでみることができそうです。
●松下 聡子
「水」は、ある時は、海となり、ある時は「心字池」の心を表し、住む人(当時住んでいた先祖)のいろいろなメッセージが込められている‥。とても興味深く楽しい講義でした。
私はいけ花をしています。いけ花の魅力の一つに、少ない本数で木の枝の長さや角度や向きを変化させ、見えない空間を、とらえていくということがあります。最少で、より多くの表現をしていくところが、とても似ていると思いました。
また印象に残っているのは、常信寺のお部屋の中で、参加者の質問で「庭や緑の中にいると、自分が小人になった気がする。庭の見方はそれで正しいのでしょうか?」という問いかけに、「自分の身を庭においた時、自由に大きくなったり、小さくなったり感じられる方は、なかなかセンスがある」という先生のお答えに、とても大らかで、ユーモアと温かさを感じました。
いつも、どんな風にでも自分の気持ちを切り替えられたり、違う自分になれる‥、とてもステキなことだと思います。いろいろな事を感じとれた時間でした。
このような機会を与えて下さり、講師の岩城先生、コーディネイトして下さった吉田さん、ありがとうございました。 |
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