第53回未完塾 「景観とサイン . 屋外広告・看板etc.」

●佐伯 淳

 愛媛の町中での屋外広告については敏功さんよりお話聞いていましたが、実際
にスライドを目にしながら話を聴かせていただき、言葉の意味を再度認識できま
した。その中でも雑多に見える風景、落ち着いて見える町並みの風景にしめる色
の配分にさほど無いことには驚かされました。
  そのため景観だけを追い求め、禁止・制限を一律にすることは大変危険であり、
必要なことは、その場にあったサインデザインと景観ポリシー、そしてそこにあ
る景観ポリシーの中で必要なインフォメーションができる商業的なサインとして
のあり方について深く考えさせられました。

 特に、地域も近く、文化的に近い内子と大洲の対比は良い例で、内子での町並
みへの住民意識の高さと、雑多な大洲の町並みに関してここまで差があることが
再認識できた機会であり、未完塾終わってから町並みを見る目が自分自身でも変
わったことが収穫でした。


●濱田 直人

 EDA会長・山内敏功氏による屋外広告についての講演が行われた。
 20年程前に氏が松山市の景観審議委員になられて以後、広告・看板を中心に景観について感じ、考え、かつ活動されてきたことを国内外の様々な例を示しながらスライドを用いて紹介頂いた。氏は審議委員であるとともにデザイナーであることから、市の景観を改善するために様々な提案をし、それを具体的に実践してきた。
 氏は前松山市長から「良くなるならばどんどん壊して構わない。但し、最後まで責任を持ってやってもらいたい」と言われたと言っている。この言葉は大きな原動力になったと推察する。
 私はデザイナーではないが、氏が商品のデザインの社会的評価を高める必要性と共に商品のコンセプトをデザインとして表現する重要性を謳われていることに共鳴し、EDAに入会させて頂いた。デザインというものが商品を単に補足するものではなく、その内容をより明確に「美術」として表現するということ、そのためには商品の表現力とデザインの美しさの両面を求められる。この二つを兼ね合わせることによってデザインそのものの存在感が生まれ、そして逆にそれが主体となって商品そのものの価値が決められる。美しさという価値を加えた商品として。
 氏はデザインの仕事としてパッケージデザインというものを最初に手掛けている。氏は、この作品が他のデザインと異なり繰り返し長く使われるため、その美術としての価値が問われることを痛感したと言われる。デザインは商品の中身の表現であるが、それ自体が中身と同じ程度に価値ある存在だと意識され始めたこと、この価値判断の変化は大きな意味を持つ。商品を補足するものとして描いたデザインが存在感を増すにつれ、商品の中身と同等な価値をもって逆に商品を指し示す物になるということを。
デザインが商品の中身に向かい合うという関係は、表現力が増し、美しさを追求するほど今度はデザインされた作品の周囲との関係を意識せざるを得ない。パッケージデザインされた商品を誰が見てどこに置かれるか、と。
 デザインが商品の中身を表現するという一方向の存在だけであれば周りは関係なく兎に角目立てばいいはずである。デザインが美しさという価値を兼備したひとつのオブジェであり、作品だからこそ、その影響力を考えなければならない。そしてより美しくあるためには、それを取り巻く背景との関係を考える必要がある。   
 氏が広告を通じて町の景観の改善に尽力されているのは、前市長の言葉が大きな契機になったと思われるが、元はデザインの本質に対するご自身の観点の変化だと考える。
 氏は、景観は自然と人工の景色が混在するものであるという。人は自然の一部であるが、自然もデザインのコンセプトとして見れば人工物の一部になる。人の手が入らない自然そのものでもデザインとして人が見れば、ひとつの美の要素になる。人は人として自然に関わっていかざるを得ない。美しさの観点から。内子町のからりは、山内氏が森を看板にした。ザルツブルグの救急車の色は町で採取される石の色である。
 私は、国内で活動するデザイナーで山内氏のようなデザイン観を持った方は少ないと感じる。私は、僭越ながら第二・第三の山内敏功さんが生まれることを願っている。そのために何をすればいいのか、我々自身が考えなければならない。お手本は身近にいるが、デザインの本質は一人一人が根気強く考えるしかない。

 

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